クオリア入門、もしくは茂木健一郎さんについて その2

先日、茂木健一郎さんの「脳と仮想」を読んで以下のようなエントリを書いた。

「つまる」「つまらない」は主観なので怒られたらごめんなさいと言うしかないが、僕は茂木さんの文章がどうも好きになれない。
「脳と仮想」も半ば意識を朦朧とさせつつ読んだが、やはり面白くなかった。
http://d.hatena.ne.jp/kwaizu/20080321#1206103738

このようなエントリを書いた以上、同じく茂木健一郎さんの「クオリア入門 心が脳を感じるとき」を読み終わった今日のうちにエントリを追加すべきだと考えた。

クオリア入門―心が脳を感じるとき (ちくま学芸文庫)

クオリア入門―心が脳を感じるとき (ちくま学芸文庫)

まず第一に、この本は僕にとって読む価値があった。すでに心脳問題についておってきている人に言わせればいろいろと文句も出ようが、僕は脳研究に関して全くといって良いほど無知なのでそこは気にならなかった(見過ごしているとも言える)。そして茂木さんの考えに対して共感できる部分が持てたことが大きい。いわゆる科学的な公証に関して云々言えない以上*1、単なる好き嫌いの域を出ないとも言えるが。
第二に、クオリアという単語を追っても何も出てこないであろうことがわかった。追うべきはクオリアが何かということではなくて、それがあらわれる文脈のほうだ。「クオリア」ただそのものは言われてみればほとんど当たり前の名づけに感じられて当然に思う。
第三に、茂木さんの本を読む気があるならば、とりあえずこの本を読めば十分であると思う。茂木さんの処女作は「脳とクオリア」であるが、この本の内容は、次の「クオリア入門」でアップデートされている(そう自分で書いている)ので「クオリア入門」を読んだ上で興味があれば戻って読むのが良いと感じた。茂木さんに興味のある人は絶対にこれ以外の本を最初に手にとるべきではないと今のところ確信している。
松岡正剛さんは「脳とクオリア」を千夜千冊でとりあげて、その中で茂木さんのキャラクタについて語っている(文章の調子までがちょっと茂木さんっぽくなっているように思えるw)。また、最近対談の本も出されている。

松岡正剛の千夜千冊『脳とクオリア茂木健一郎
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0713.html

脳と日本人

脳と日本人

ぼくは最近の「脳ブーム」が大嫌いで、脳科学者を任ずる友人の茂木健一郎(713夜)君でさえ、このところどうもつまらないカルチャーサイクルで足掻いているように思えて、困っている。もっとも茂木君とは、さきごろ『脳と日本人』(文芸春秋)という対談本を上梓したばかりで、これを読む人にはなんらかのヒントがけっこう詰まっているとは思うのだけれど(たとえば安藤忠雄さんは「あれはやたらにおもろかったで。いま2度目や」と言っていた)、とはいえ残念ながら、対談者のぼくの参考にはならなかったのだ。
松岡正剛の千夜千冊『脳と音読』川島隆太・安達忠夫
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1233.html

茂木さんとの会話というかディスカッションは明らかに話がかみ合うことが絶対条件*2だと思うので、この対談本はちょっと眺めてみたい気もする。
ちなみにセイゴオさんづいてしまったので、ついでに書くが、先日上記の安藤忠雄さんの呼びかけで、安藤忠雄さん・松岡正剛さん・茂木健一郎さんという対談が実現している。Sony Computer Science Laboratoryの最近のテーマのひとつがsustainable open systemであることを考えれば、茂木さんという選択は期せずして妥当だったかw
http://www.eel.co.jp/seigowchannel/archives/2008/04/diary_30.html
対談の内容が上のエントリで少々取り上げられているが、これだけでも僕にはなかなか興味深かった(ヒントを得た)。加えて最近、古書店にて「共鳴する神々」*3を購入していたのでちょうど良かった。

共鳴する神々―鎮守の森からのメッセージ

共鳴する神々―鎮守の森からのメッセージ

僕個人では、後日、茂木さんの書籍として「脳とクオリア」を読んで、あとは興味がわいた時点で論文でも読んで、それで一段落としたい。

*1:それは彼の出している論文を対象にすべきかとも思う。ようするに茂木さんの「僕は心脳問題をこのようにとらえて研究をしていますよ」という表明であると考えるべきで、それを妄想といえば妄想だろう。まあ、明らかに再現性のない実験をあたかも事実であるかのように書いて、それを前提としているとすれば問題だろうが僕にはそれを判断するだけの知識がない。

*2:相手の頭の回転がどうこうというのではなく、単に性格とか価値感の問題だと思うが。

*3:感想を付け加えるならば、最初に寄稿されているライアル・ワトソンの考え方に僕は共感できなかった。松岡さんのパートだけでも今度何か書いておこうか。