手相

昨日、スタバにいたときにとなりの机にふたりの女性が向かい合って座っていた。ちょっとみるとひとりがもうひとりの左手をとって見ている。なんだろうね、と思って視線を下げたとき、聴くともなしに、

「やっぱり、神仏に守られていますね。」

と言うのが聞こえた。僕にとって手相は宗教とは独立したものという感覚だったからわりとショックを受けた。しかしながら、最近は宗教勧誘の入り口として手相占いが用いられることも多いと聞くから、これもそうだったのかもしれない。
ところで手相はChiromancyとかPalmistryとか言われて東洋のみならず西洋でもメジャーなもののようだ。起源もインドだったり、ジプシーだったりとどうも自然魔術と近しい関係にあるような気がする。占いはそもそも観測不可能なことを、観測できるが法則や原理はよくわからない別の自然現象に還元して予見しようとする。その自然現象は大概、占星術だとか、太占だとか、人間自身に根拠を求めないことが多いような気がする。人相(顔相・骨相学)や血液型占いは手相と似ていて、当人の性格を当てたりはするけれど、未来を予知するだけの力は持っていなかったように思う。
そんな中で手相がその人の寿命までを予見するにいたる*1のは、それが単純さを備えながらも固有なシンボルであって、生まれながらに施された術だからなのかもしれない。人相は固有のものだが、シンボルといえるほど単純ではない。血液型は単純だがカテゴリではありえても固有ではない。そのような当たり前のことを思った。

*1:僕は手相を信じていないから、そのようなレベルの魔術として成立したという意味でだけれど。